お昼ご飯を食べた帰りに寺島図書館の前を通りかかると、月刊「現代」1月号掲載の対談が案内ウィンドウの中に掲示されていた。墨田川高校出身の三人の作家によるもので、宮部みゆきが一番若い。「学校図書館にはミステリーが松本清張の『点と線』しか置いてなかったので、隣の寺島図書館によく入り浸っていた」という趣旨の発言部分にマーカーで線が引いてあった。「墨高なんていうのはモグリで『七高』というんだ」などとも書いてある。確かに七高を名乗っているし、今でも文化祭は「七高祭」だ。
そんな記事をふむふむと読んでいると後ろから工事のおじさんらしき人から、すいませんと声をかけられた。ここらへんは、寺島というのか?という。おじさんの名前が「寺島」だそうで親近感がわいたようだ。確かに図書館が「寺島」図書館、側の小学校が第一「寺島」小学校と寺島が付くものが多いので、多分そうです、と答えた。現在は東向島三丁目、一丁目などとなっている。
戻ってから気になってネットで調べてみると、向島に対して東向島と「東」が付いている地域は旧「寺島」なんだそうだ。永井荷風やら滝田ゆうやらの名前が出てくる出てくる。ちなみになぜ「島」と付いているのかと言えば、隅田川と荒川に挟まれて確かに島になっているし、昔は水路だらけでそれが更に小さい「島」に分けられていた。そして江戸の中心からみると向こうの島なので「向島」になるのだという。
東向島五丁目は昔は「玉の井」と呼ばれる私娼窟だった。狭い格子窓から女性がおいでおいでをして客を誘ったそうだが、今そのような面影はほとんど消えて普通の民家やマンションになっている。わずかに当時を偲ばせる作りの家を見つけるぐらいだ。
墨田川高校生、いや七高生は、名門男子校生として、この玉の井の娼婦たちから人気があったようだ。客ではなくボーイフレンドとして。夜の疲れを癒すためなのか、ステータスなのか、七高生を連れて喫茶店に入ったりしたらしい。七高マークの学生帽を被っているだけでもてたという昔の卒業生の話を人伝えに聞いた。
ありし日の七高に思いをはせながら、くねくねと曲がる細い道を帰った。
荷風が愛した浅草から墨東、寺島を歩く(3ページ目から)
http://allabout.co.jp/travel/sanpo/closeup/CU20071012A/index3.htm
路地が残す色街の面影…東向島(東京都)
http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20071211bk03.htm
2007年12月26日
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面影を残す家の写真が撮れたらアップしますね。